看取りについて考える その②

コラム カミムラ
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約5年前に看取りについて考える①という記事を個人の見解を自由に書かせて頂いた。

その記事をみて下さった方から本日連絡を頂き、その①の続きはどうなるのか?と問合せを頂きました。

 

こんなブログでも共感して興味を持って頂けると思うと素直嬉しいもので。
特養の看護師さん、ありがとうございます。

また、『続きは次回でも』と書いてあるのに放置している、自分の適当さも反省(汗)

 

で、改めて看取りについて考えるのだが、

5年経過した今でも、看取りは日常生活の延長にあるものという基本的な考え方は変わっていない。

ただこの5年の間に祖父を看取った経験が、看取りについて別の視点から考える機会をくれた。
祖父は脳梗塞で最終的には特養で寝たきりの状態で最期を迎えた。桜が舞い散るように、4月初旬に永眠。

終末期にはDRから看取り期の説明を祖母と私の母親が受けた。
説明後は、終末期の対応に関して説明を受けて同意します。という家族のサインが必要となる。

 

そのサインは高齢な祖母の代わりに、母親がしたと夜電話で直接、母から聞いた。
その時、いつも気丈な母は電話越しに泣いていた。
『お父さんを死なせてもいいという。同意書に私がサインをした』と。
また、『そのような同意を祖母にはさせられない』と

それらの経験からも、看取りケアは誰の為にあるのか?と考えるように・・・

 

まずは、本人自身の為にあるのだろう。

意思疎通が難しくなった場合は、感覚的な支援が重要で。
音楽を流したり、アロマや花を飾ったり、暖かい手で触れたり、話しかけたり、
誰かが傍にいる日常を支える支援が重要であると思う。

家族がいれば、共に考え共に最後まで日常を支える支援(環境)をつくること。
これが専門職の役割だと思う。

 

次に、残された人の為に看取りケアはあるのだろうと。
お別れの準備期間がある事は、残された家族や友人にはとても大切。
その準備期間を創るという、みとり期の方の最後の役割のような気がします。

私は祖父に対して『祖母や私たちに、見送る心の準備期間をくれてありがとう』と看送った。

 

看取りケアは、日常生活の延長であるという理解が家族を含めたチームに必要不可欠である。
看取り期の方に対する、点滴や酸素がどのような事を引き起こすのかを十分に説明すること、
また、説明を受け看取り期の同意書にサインする家族の気持ちを十分に支える覚悟が専門職には必要なんだと。

祖父は最後に『家族の気持ちに寄り添う』ということを専門職である私に教えてくれた。
桜舞い散る季節には、祖父を思い出しながら、これからも支援の必要とする方の為に、
その人たちの視点から専門職の役割を考えていこうと思う。

 

最後に、看取りケアは我々に『生きるということを』再度、考えさてくれる機会だと。
看取りを通して、命の尊さを学び、命ある今を大切にする専門職へ成長させてくれると・・・

命ある今を大切にし、目の前の方とたくさん話し、好きな事、やりたい事、いろいろな事を知り、
看取りの時、自分の意思を相手に伝えることが出来なくなってしまった時、代弁できるような
専門職チームでありたい。

 

看取りケアを実施するには、

  1. どのように日常をサポートしていくか?
  2. 本人はどのような日常をサポートしてほしいと考えるか?
  3. 看取りケアに関して、どのような不安や想いがあるのか?それぞれの立場から・・・

を、本人や家族を含め専門職と一緒に話う機会を創り、話し合う関係性を継続していくことが求められる。
寝たきりの、管で繋がれた祖父を見送った日、寂しくもあったが、最後まで愛情深い、じーちゃんだったと。

不思議に誇らしい気分になったのは今でも心に残っている。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

たまには、ブログも頑張ろうとパワーをもらえました((笑))

感謝。

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